SHIMADANOMEシマダノメ

シマダノメ Season5
第7回 深掘りインタビュー
岡田優希 選手

『シマダノメ 深堀りインタビュー』Season5の最終回となる第7回は今季の新戦力の一人ながらチーム最多となる6ゴールを挙げて存在感を発揮した岡田優希選手。10番という責任が伴う番号を背負いながら苦闘した2023シーズンを振り返るために、手にした「学び」をいろいろな角度から深掘りしました。(取材日/11月30日)。

―今季プロになって初めて背番号10をつけてプレーすることになりました。そこで学んだことはありますか?

移籍してきた選手がいきなり10番を背負うことはあまりないことだと思います。10番をつけた歴代の選手には有名な方々がいるし、だから重みを感じるわけですが、それによって自分にしか出せないプレーを表現しようと強く意識しました。そもそも、普通のプレーをしていてはダメだという感覚を僕は持っていましたが、10番をつけることでその思いは深まりました。ただ、ピッチに入れば番号は関係なく、自分のベストを尽くすことに集中するように努めましたけど。10番をつけて分かったことは、その番号をつけてプレーすることの影響力は大きいんだな、ということ。こんなにも喜んでくれるのか、と。逆に、そこまで多くはないのですが、批判の声が集まるのも10番なんだな、とも思いました。

―苦しい戦いとなった今季だからこそ、10番を背負う岡田選手のプレッシャーも半端なモノではなかったのでは?

重荷に感じたこともなければ、10番のユニホームを脱ぎたいと思ったこともありません。そうしたことも全部含めての『覚悟』を持ってギラヴァンツ北九州の一員になりましたし、10番を背負ってプレーすることを受け入れましたから。ちょうど1年前の今頃にスポーツダイレクターを務める小林伸二さんと話をしました。僕のことを『10番タイプ』として見てくれたのは伸二さんだけで、ほかのチームはサイドアタッカーとしてだけの評価でした。伸二さんには2022年のテゲバジャーロ宮崎で僕が14ゴールを挙げた得点力だけではなく、ゴールにつながるパスを出せる選手としても評価していただきました。だから僕はほかのクラブよりもギラヴァンツ北九州でプレーすることが魅力的だったし、ミクスタでのサポーターの熱量を十分に知っていてその前でプレーすることを楽しみにしての加入でした。つまり、途中で10番を投げ出すとか、嫌だとか感じるような軽い覚悟で北九州にやって来たわけではありませんでした。

―苦しい戦いとなりましたが、期待されることを素直に喜び、それでもその期待へ何とか応えようとした1年だったと?

僕はまっすぐここに来たわけではありません。2018年から3シーズン在籍したFC町田ゼルビアでも決して順風満帆ではありませんでしたし、町田を離れたあとはドイツで何とかチャンスをつかもうとチャレンジもしました。そういうことを経験しながらサッカーをできる喜びをここにいる誰よりも噛みしめているつもりですし、期待されることのありがたさは僕にとってとても大きなモノですし、それに応えたいという一心で今シーズンを戦いました。

―今季のギラヴァンツ北九州は多くの新卒選手が加入して若いチームとなりました。その中で岡田選手は年齢的にもチームのまとめ役になることが期待されたのではないでしょうか?

まとめ役を務める難しさを感じた1年でもあります。ただ単に自分のプレーにフォーカスするだけではダメだし、かといってチームのことを考え過ぎて自分の良さが出ないとそれもダメだし…。そこのバランスは常に悩みました。シーズン最終盤になっても、そこは悩んでいます。結局、それに関してはなかなか答えが出ないだろうし、もがきながらやっていくしかないだろうと思っています。ただ、若い選手が大半の中で影響力を発揮してしっかり引っ張ることができなかったことは事実だと認めますし、それもあってチームが一つになることができなかったし、それがチームとして勝てなかったことの要因の一つだとも思います。

―早稲田大学ア式蹴球部のキャプテンとして関東大学1部リーグ優勝に貢献した岡田選手にリーダーシップがあることは間違いないでしょう。そんな岡田選手が今季うまくチームを引っ張ることができなかったと思うのは、新加入選手としての遠慮があったからでしょうか?

遠慮したつもりはありませんが、どんな言葉が周りの選手に響くのかをすごく悩みました。5月、6月にゲームキャプテンを任せていただいた時は、選手に声を掛けてチームミーティングを開きましたが、そこで「もしかしてこれは違うのかな」という感覚を持ちました。大半が若い選手、またそれ以外の選手も自分の世界を持っている選手が多いので、チーム全体としてのまとまりを強く意識するよりは、それぞれの選手が自分の持ち味を発揮することに意識を傾けた方がいいのではないか、と感じました。だから、個々の選手の考え方や姿勢を尊重しながら、その中で迷っている選手がいたら声を掛けるやり方がこのチームには合っているんじゃないか。だから表立って何かをするよりも、それぞれが自発的に動いていくので、その中で何かサポートできれば、というスタンスを選択しました。例えばタク(若谷拓海)は初めに出場機会を得ましたが、ケガを挟んでなかなか出番が訪れない状況になりました。そういった中でも僕はずっと声を掛け続け、彼は徐々にパフォーマンスが上げて、シーズン終盤になって、それまでのトップ下ではなくボランチというポジションで出場機会を得るようになりました。同様にスンジン(高昇辰)にもいろいろなことを要求しながら接してきたし、リンちゃん(岡野凜平)ともいろいろと話したし、そういうふうに個々で接する方がいいのだろうと、シーズン開始から半年経って感じることができました。

―このチームを構成する選手の個性・特徴を考えれば、全体ミーティングよりも個々へのアプローチをしてまとめる方向に動いた方が良いだろう、という判断ですね。

僕らの年代では強制されてミーティングに参加する形でもまとまることができましたが、今の若い選手たちは上下関係がそれほど厳しくない中で育成年代を過ごしてきたはずですから、そうなると上から押さえつけるよりも、それぞれが伸び伸びとやって、そこでできるサポートを考える方がいいのかな、と。

―そういうアプロ―チによって、チームの一体感が少ずつでも高まっていったのでしょうか?

今年の不振の要因はたくさんあると思いますが、「ここで勝てば行けるぞ」という時に勝てずに一体感が高まらなかったことも要因の一つだと思います。ガイナーレ鳥取戦(第14節)で12試合ぶりに勝利を収めて「行けるぞ」と思ったら次のAC長野パルセイロ戦で後半終了間際に失点して引き分ける。伸二さんの采配初戦のヴァンラーレ八戸戦(第26節)で勝ったのに次のアスルクラロ沼津戦を終盤の失点で落とす。いわてグルージャ盛岡戦に6-1で大勝を収めた後の長野戦も何とか後半に追いついたものの前半で圧倒された今季初の連勝を逃す。一体感は成功体験を積み重ねることで生まれるものだと思いますが、それができなかった。

―先ほどもおっしゃいましたが、岡田選手自身のストロングポイントの発揮と、チームの一員として課されるタスクの両方で結果を出す難しさについてもう少し詳しく聞かせてください。

自分で行った方がいいのか。周囲の選手も僕が2,3人を抜いたところでサポートに入るのがいいのか、それともその前にサポートに動くのがいいのかの判断がずっと定まらなかった。連係として、僕が行くことで味方がフリーになってその選手が決める。そうなれば、今度は味方が僕を生かしてくれる。その相互関係をうまくつくれませんでした。特にシーズン終盤はそこを悩みました。チームが勝つためにプレーする、という考えは開幕から一貫して持ち続けてきましたが、その上で、どういうバランスでプレーしたら良いかの手ごたえは正直に言って最後までつかむことができませんでした。

―今季初勝利を挙げた第2節・カマタマーレ讃岐戦で岡田選手が2ゴールを挙げたことで、攻撃における岡田選手への依存度が一気に高まりましたから、個人と連係のバランス調整は一層難しくなったとも言えるのではないでしょうか?

そこで僕にはもっとゴールを取れるチャンスがあったので、そこで取り切ることができていれば、もう一つ突き抜けることができていれば、という悔しさがあります。そういう突出した力を出せれば、より明確に味方が空くので連係プレーもしやすくなったのではないかと考えることがあります。

―自らのストロングポイントを十分に発揮できたとは思えないシーズンになりましたか?

できませんでした。得点力、アシストの数字が伸びなかったのは、僕が前向きに仕掛ける回数が不十分だったからだと考えています。相手チームがどういうスカウティングをしていたかをゲーム後に聞くと、僕を「ゲームから排除する方に持っていった」という話が出てくるんです。僕が2得点を挙げた八戸戦(第26節)や1ゴールを挙げた岩手戦(第35節)のように自分が前向きに仕掛けることができればシュートもあるし、パスも出せるし、という形になる。ただ、そういうことができた試合がわずかでした。

―相手が自分を排除してくる中で、どうプレーをするかを考える時間が増えたシーズンでもあった、と?

そうですね。僕の後ろにいる左サイドバックのタカヤ(乾貴哉)が得点を重ねたことは僕にとってもうれしいことでした。セットプレーで僕がアシストしたこともありますが、流れの中で攻撃における『相互関係』をつくることができた結果ですからね。

―そうなると相手は、岡田選手と乾選手との関係をつぶそうと考えますよね。もし、そこに別の選手が絡むことができていれば、新たな相互関係が出来上がったかもしれませんね。

僕の中では警戒されたものを上回るモノをつくり出していく、発揮していくという基準を持ってプレーをするし、考えてもいましたが、そこを十分につくりだせなかった、突き抜けられなかったことが本当に悔しいですね。

―チームとしての得点力不足が続く中で岡田選手は何を考え、どういうチャレンジに努めましたか?

点を取っても取れなくても、さらに良くなるために修正を重ねる。常日頃から意識している、そのことに変わりはありませんでした。ただチームとしてなかなか得点が取れない状況に陥るとどうしても選手のプレーは硬くなりますし、1点がどうしても遠く感じてしまいます。そういうネガティブな要素を覆すパワーを何とか生み出そうと努めましたが、うまくいきませんでした。

―個人として意識的に取り組んだ課題はありましたか?

正直に言って、そこの段階に至りませんでした。チームの結果と、毎週の自分のコンディションを合わせることで精いっぱいでした。チームが勝ち、こうしたら勝ちが続くという手ごたえや自信が出て来て初めて個人のさらなるレベルアップに目を向けられるものです。どうしたら勝てるんだ、また攻撃的な良いサッカーをしていてもセットプレー一つでやられるとか、カウンター一発でやられるとか、チームとして自信を深めていくサイクルに最後までなりませんでした。

―開幕から第13節まで先発を続けていた岡田選手が、6月半ばの第14節から8月半ば過ぎの第23節まで先発を外れることになりました。そこで考えていたことは?

あの頃には絶対に戻りたくありません。でも人として強くなったんじゃないかな。過去も未来も考えることなく、ただ今できることにベストを尽くす。その頃から僕が「ベストを尽くす」という言葉を口にすることが増えたと思います。本当にそれだけで命をつないでいたというか……。結果が出ない状況で田坂和昭監督が判断したことなので受け入れつつも、ただ受け入れがたい気持ちがあったことは事実です。それは選手として当然の気持ちではあるでしょう。

―試合に出ることができない理由を田坂監督には聞きましたか?

監督の決断に従うのもプロの在り方の一つだと考えていたので、理由を聞くことはありませんでした。聞く前にプレーで示して出番を勝ち取ろうと思っていましたし。

―再び出場機会を手にするためにトライしたことは?

ちょうどチームのシステムや戦い方が変わった時期でもあり、そこに対して自分がフィットできず、そこのアジャストに時間を要しました。フィットできなかったのは、主にプレスの掛け方です。システムと戦術の変更でプレスの設定ラインも変わったのですが、そこに関する僕の認識がズレていました。

―どういうズレですか?

チョウさん(長島裕明ヘッドコーチ)との話し合いで分かったのは、プレスを掛ける時のタイミングですね。これまで複数のチームでやってきた時、また4バックで戦った今季序盤はサイドハーフとしてプレーしていたわけですが、その時は後ろの状況を確認して僕のプレスをかけるタイミングを測っていました。でも、3バックシステムへ変わり僕のプレーポジションがシャドーの一角になってからは、前がまずプレスをスタートしてそれに合わせて後ろの選手がポジションを決める、というスタンスに変化していました。そこを十分に理解していなかった僕は効果的な守備ができていなかった。でもチョウさんや出口(拓馬コーチ)にうまく誘導してもらって、そのやり方を理解し、実践できるようになり後ろとつながったところで、鹿児島ユナイテッドFC戦(第24節)から先発に復帰することができました。

―勝って学んだことはありますか?

6勝(取材日は最終節前)で、果たして勝ったと言えるのかどうか、38試合のうち21敗もしているわけですからね。ただ、なかなか勝てなかったことで勝つことの喜びを素直に感じることができましたし、勝つことは当たり前ではない、ということも改めて理解することはできました。あとは勝つことでどれだけ多くのの人が喜んでくれるのかも深く理解できました。

―勝った6試合のうち3試合で岡田選手は得点を挙げています。

いずれもホームゲームでしたね。最下位のチームのホームゲーム入場客数が3千人を超えている(1試合平均3,857人。リーグ4位)。スタジアムに来て応援してくれる方々がそれだけいるのはクラブにとっての宝だと思います。そういった人たちの思いに何とか応えたい、その一心でした。だから6勝しかできなかったことが悔しくて情けない。

―これまでの話をうかがっただけで、岡田選手にとってこの1年がどれだけ苦しいものだったかが分かります。

こんなに長く感じたシーズンはありません。ただ一方で、目の前の練習と試合をしていたらあっという間に終わったという感覚もある。不思議な1年です。

―だからこそ強くなったと感じられる、と。

本当に人としては強くなったと思います。そこの部分は鍛えられたかな。心身ともに限界を感じる中で何ができたかというところでは、これまでのキャリアの中で一番耐えることができたと感じています。学生の時はそこで耐えられなくてBチームに落ちる、ケガをするとか、気持ちが続かないことがありました。でも今年は、逃げずに、耐えることができたというのは、自分の中での自信になるのかもしれません。夏のうまく行かない時期に伸二さん、強化部の平井(秀尚)さん、イケさん(池元友樹)から「今は苦しい時期だが、これがずっと続くわけではないだろうし、サッカー選手として人間として強くなれるチャンスだから、おれたちが見ているから頑張ってほしい」と声をかけてもらい、それもあって頑張ることができました。

―耐え忍ぶためのエネルギーはどうやってつくり出したのでしょうか?

エネルギーを自分の中でつくり出そうとすると、恐らくは心が折れてしまうと思ったので、ただ目の前のことにベストを尽くす。いま自分がやるべきこと、思い描いているモノ、目標というモノを根っこに持って、あとは状況や環境に負けないぞ、ということを意識するようにしていました。進むことが困難な状況にある海の中でも目標となる灯台を目指して船のオールをしっかりと淡々と漕いでいく、そんなイメージを持つことが大事だという話を聞いたことがありますが、それを実際に経験することになりました。それはこれから先の僕のサッカー人生、また人として生きていく上での大きな財産になるんじゃないかと思います。

―失敗に終わることがあっても一つひとつのことを積み重ねていくことで成功につながるかもしれない。

僕が「競争闘争理論--サッカーは『競う』べきか『闘う』べきか?」という本を書いた、鎌倉インターナショナルFC監督・河内一馬さんとのオンライン対談でこんなことを言いました。「(闘争と競争は)ミスの捉え方が違う。昨季は『このプレーでミスをしたからゴールができた』という感覚があった。選択を正解にする。事後の結末がないとそれが正解だったか分からない。そうやってプレーをしていくとより挑戦したくなるし、ミスがミスでなくなる。より自信をもってプレーできる」と。僕は今年ギラヴァンツ北九州でプレーすることを決断し、クラブも僕を選ぶ決断をしてくれました。今後のことは分かりませんが、その決断と選択、それによって過ごした時間を正解にしていくしかないと思います。

―先ほどおっしゃった『灯台』とは具体的にはどういうモノですか?

僕がドイツでチャレンジしようと思ったのは海外サッカーへの憧れがあり、海外に行けば本物のサッカーができる、と考えていたからです。だから、それがダメだったら引退してもいい、と考えるくらいの覚悟で裸一貫の状態でドイツに渡りました。でも、ドイツに行ったら、ドイツ人の歴史、ドイツ人のためのサッカーがあるだけでした。結局、サッカーに良いも悪いもないし、それが営みとして行われているだけ。じゃ、プロとは何かを考えると、仕事である、という答えにたどり着きました。ドイツで感じたそういう気づきと、それによって人生が変わった感覚が、そこからのサッカープレーヤーとしての自分にとっての原点になりました。

―ドイツで実際に起こったことは?

あるチームの練習試合に出させてもらったのですが、僕が打ったシュートが決まらなかった。それは今の僕が得意とする左サイドからカットインしてGKとの1対1をつくり出して打った右足シュートでした。そのチームの練習にはあと2週間くらい参加させてもらう予定だったのですが、その練習試合後に「もう来なくていい」と告げられました。あのシュートを決められなかったという悔しさはしばらく心の中に残り、だからこそこのままでは終われない、という気持ちも沸いてきました。今の「圧倒的な結果を残してやろう」という気持ちはそこが出発点だし、結果を出さなければプロのサッカー選手としては生きていけないと感じることができたドイツでのあの日の出来事、そこで生まれた感情と見方が僕の『灯台』になっています。だから今年1年はとても苦しかったけれども逃げたくなかったし、プロとしてのプライド、それを示すための姿勢を貫きました。

―今でもカットインからのシュートを繰り返し行う姿に執念のようなものを感じます。

僕が結果を出せる形が、左サイドからのカットインと右足シュートであるということ。相手が十分スカウティングを行い、でも分かっていても止められないモノを目指しています。そういう意味では執念めいたものを感じるのかもしれませんね。そこには僕のプロとしてのこだわり、プライドが詰まっています。

―ほかに結果を出せる形をつくりだそうと思いますか。

今年は確か左足シュートによるゴールが二つあるはずです。また去年に比べれば多くのクロスも上げています。結果につながる回数が少ないので目立たないのでしょうが、左サイドを縦に突破して中へ折り返すプレーがかなり増えました。そこは自分のプレーに幅が出た部分です。でもそういうプレーが効くのは、カットインからの右足シュートという大きな武器があるからだと思っています。

―さきほど話した前向きに仕掛けられる場面が少なかったというのは、いまのカットインからのシュートという得意な形をつくり出せなかった、ということでもあるのでしょう。その回数を確保できなかったのはチームとしてうまくボールを前進させることができなかったからなのでしょうか。

それもありますし、守備の時間も長かったし、五分五分のボールを自分たちのモノにする回数が十分ではなかったこと。また相手にロングボールを蹴られるとどうしても真ん中のエリアでなかなか前を向けなかったし、チームとしてのクオリティーの部分でボールがなかなか前につながらなかったからだと思います。

―最後の質問です。来季の自分をどうイメージしていますか?

いまは来季のことをまったくイメージできていません。今シーズンが間もなく終わりますが、チームとしても個人としてもすごく消耗が激しい状況の中で何とかつないできたので、まずはしっかり休んで考えたい。その時には分からなかったことも冷静になることで分かることがありかもしれないし、そういう意味ではしっかりリフレッシュして休むことが大事だと思っています。それほど今年はいろいろなことがあり、個人的にも限界ギリギリのところで何とかつないできた1年だったので。

―来季、ギラヴァンツ北九州のファンにどんなものを届けたいですか?

もっと多くの勝利をギラヴァンツ北九州サポーターに届けたいという気持ちがあることは事実です。このクラブのポテンシャルは外から来た自分のような人間の方が実感できると思っています。こんなに良いスタジアムがあり、熱心なファン、サポーターの方々がたくさんいて、北九州市がサポートしてくれている。これだけの環境が整っているクラブは本当に貴重です。だからここで多くの喜びを提供したいと思っています。

文・島田徹 写真・筒井剛史

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