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2016.03.11

ブログ

2016.3.11

2016.3.11―。

あの東日本大震災から今日で5年。

被害に遭われたすべての皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。

 

本日練習終了後、震災発生当時に所属クラブの所在地で甚大な被害を受けた本山選手と川島選手が、震災から5年経ったいまの思いを語ってくれました。

 

■MF43 本山雅志選手

「震災発生当時はクラブハウスにいて、屋根が落ちるなどすごい被害がありました。まわりも尋常ではない光景になっていて、とにかくすぐに家に帰りましたね。家は高台にあったので、津波の被害などはなかったのですが、隣町は少し被害の出たところもあって…。チームもとりあえず活動を止めましたし、断水のせいもあって生活も大変でした。鹿島は福島第一原発が近いこともあって、水素爆発したり次の日に雨が降ったりして、そこは不安でしたけれど、北のほうに比べれば被害は拡がらずに済んだのかなというふうに感じました。

 

今日であの震災から5年が経ちますけれど、まったく自分の中では褪せていないですね。絶対風化させてはいけないことですから。被災地ではサッカー教室を行ったりしました。アントラーズとしても行きましたし、個人的にも小笠原満男(鹿島アントラーズ)が『東北魂』をやっているので、その協力に行ったりということもありました。毎年現地に訪れる中で、最初はひどい状況でしたが、わずかながらでも活気が戻ってきている感じはあります。ですが、今でも建造物に関して震災を風化させないように残すのか、はたまた壊すのかの議論が終わっていないものも多いみたいですし…。100%の復興にはまだまだほど遠いと思います。それでも、サッカー教室をやる時に最初は言葉使いにかなり気をつけていましたが、最近はようやく子どもたちにも笑顔が戻ってきているなとも感じています。

 

東日本大震災のような被害を被る可能性は誰にだってあるので、だからこそしっかりと5年前のことを教訓にして過ごさねばなりません。ギラヴァンツのクラブハウスも海に近くて綺麗なところで、津波は来ないと言われているみたいですが、自然はこわいですからね。もし危ない状況になったらしっかり逃げなくてはいけないというのも伝えていきたいし…。そして、東北の復興もまだまだなので、僕の友人で震災に大きく関わった人がいますけれど、何かやるという時に一番に協力していきたいですし、それが一番の手助けになると思っています。何が起こるにせよ、身近なところにいないと何をしていいかわからなくて。どういったことが必要なのかというのを聞きながら手伝っていきたいですし、プロサッカー選手としてサッカー教室などを率先してやっていきたいとも思っています。手伝うことしかできないですが、やれることはできる限り協力していきたいと思っています」

 

 

■MF19 川島大地選手

「地震が起きてまず家族の安否確認を、と思ったのですが、携帯電話の電波がつながらなかったのを覚えています。固定電話もすぐにつながらなくなって…。地震の揺れがすごくてテレビが倒れそうだったので押さえました。茨城出身なので、結構な頻度で地震があったせいか地震慣れはあったのですが、それでもビックリするくらい。外の人もキャーキャー言っている状態で、すぐに速報で震度5と報じられていました。そして、当時の山形は雪が降っていて早い時間ながら暗くて、『この世の終わりでは』というような感じすらしていました。停電して、雪も降って、断水になって…。家族と安否確認こそできたものの、地元ではコンテナが道路に流れ込んでいたり、道路がグネグネになって電信柱なども倒れているというのを聞いて、改めてあの地震のすごさを実感しました。

山形では練習場などへの被害こそなかったものの、練習自体はストップしました。いつからJリーグが再開するかの目途もつかない状況だったので、母校の大学に帰って体を動かしていた記憶があります。

 

昨年末に旅行を兼ねて東北に行ってきました。途中、福島を車で通ったのですが、高速道路の横に放射線測定器の看板みたいなものが置かれていて、福島第一原発が近くなるにつれ数値が高くなっていって…。その道路自体はそれほど放射線量が多くないところだったので通れたのですが、それにも関わらずそういった測定器が置かれていること自体に衝撃を受けました。原発に最も近い場所では、『窓を開けないでください』などの記載もされていましたし。そして、テレビでよくやっているチェルノブイリの映像のように、民家はあるのに人一人いないという光景が目の前に広がって…。汚染された土が袋に入れられてブルーシートが被せられたものがたくさん置かれていたのが印象的でした。最近はまたテレビで復興のニュースを見ますが、いまだに帰れていない人や行方不明者の方がいらっしゃるということを聞くと、復興は1、2年で終わるものではないとわかっていながら、なかなか進んでいないのだなということを実感しますね。

 

サッカー選手として、やはりチャリティーマッチや募金などのチャリティー事業などで復興支援に関わりたいとは思います。昨年は同じく僕の出身地でもある茨城県も大きな被害を受けた豪雨災害で、チームとしてチャリティーオークションと募金を実施いたしましたが、サッカー選手だからこそできることを今後もやっていきたいという想いがあります」

 

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